百済の言葉で靴と呼ばれたように、九度山は古代朝鮮の靴のような形をした舌状河岸段丘、新生代第四紀に紀ノ川が運んだ堆積物を紀ノ川と丹生川が削った崖の上の平地です。

 ここは古代、紀ノ川を見渡す見通しのよさがあった上に、丘の頂上であるにもかかわらず、山の水が供給される井戸が現在でもあるように水を得ることのできる土地でありました。その上、紀ノ川と丹生川の合流点でありながら、水害に遭わない地形でありました。比較的早い時期に人が暮らし、古代、中世、近世、現代、それぞれに歴史に登場する地勢を持っています。


https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#16,34.29044,135.56159



九度山の名前は「母思いの空海が母を訪ね月に九回下山した」、「朝鮮語の靴を指す百済語のクドと墓を指すサンが、久戸山となり、クドヤマと読むようになった」、「川が合流する地点を指す百済語クドレ」、「笠木にあった銅山の精錬所が現在のまちなかにあり、精錬のかまどをクド」という諸説があります。詳しくは九度山の町の名の由来をご覧ください。