林道 木材を運搬するために開削された道敷きの総称。

明治35年の「林道工河川工取扱ニ関スル手続」では、林道の種類を以下の通り。

    「軌道」 トロッコ用

    「車道」 荷車用

    「牛馬道」牛馬用

    「歩道」 人間用

    「木馬道」木馬キンマ用

 現代では「自動車道」「軽車道(軽トラ用)」「単軌軌道(モノレール)」です。

木馬道 昔から橇ソリは使用されていましたが、雪の上が主で、土の上では重いもの運べませんでした。それを改良して、道敷きに盤木を置いて水や油を撒いて滑りやすくしたのが木馬道キンマミチです。レールの無い枕木だけの鉄道のようなものです。私が調べた限りでは、文献上では薪などを運ぶために使用された記述が初出ですが、詳しくは判りません。明治時代になり、「木馬キンマ」として出てくるのが、以下となります。また、明治時代の運材法は、吉野林業全書に詳述されています。

明治19年  高野山の陸運は専らキンマを使用

明治20年頃 近来木馬搬出法を使用し、発端は土倉氏の高野山払下げ時に使用したのが第一着手。

明治22年  十津川の木馬は吉野と同じ起源で、22年の水害で山は緩れて木馬に適するに至った。

明治25年  土佐の人夫が尾鷲にキムマを伝え使用されるようになった

 

軌道  枕木の上に軌条を敷設し、その上でトロッコを転がしたのが軌道です。世界で初めての軌道はイングランドの炭鉱で使用され、年代は1604年、延長3km、軌条は丸太でした。その後、丸太が角材になり、1767年になって、薄い鉄板を貼りつけて補強し、鉄板レールと呼ばれました。

・日本初の軌道は、北海道の茅沼炭鉱で開削され、成功は明治2年、延長2.8km、軌条は鉄板レールです。

・明治38年に土井八郎兵衛が記した紀州尾鷲地方森林施業法に、この鉄板レールとトロッコの組み合わせを「木軌道」と呼んで詳しく紹介されています。明治30年代に尾鷲、海山地方では、この「木軌道」が多数開削されました。

その後、耐久性などの問題から軌条はオール鉄製となりました。

・林業関係のオール鉄製の軌条としては、木曽御料林の阿寺軽便鉄道が最初ですが、これば経路(歩道)に簡易に軌道を敷設し、食料を山上に運搬するためのものでした。高野山森林鉄道は、国有林で木材運搬用に初めて鉄レールで敷設された軌道です。明治38年に最初に敷設された軌条は12封度(6kg)軌条でしたが、大正2年完成の神谷インクラインでは、18封度(9kg)軌条が使用されています。因みに日本語では鉄道や軌道などが有りますが、英語ではrailwayだけです。

 

参考文献

・明治林業史要(松波秀実著・大正8年11月発行)

高根山木馬道新設ニ付谷高根両名契約証(大粟家文書 徳島県立文書館・安政5戊午年2月16日 1858/3/30)

・紀伊国高野山所見(川瀬善太郎著・大日本山林会報告第58号・明治19年12月発行)

・挿画  吉野林業全書(森庄一郎著土倉庄三郎校閲・明治31年11月発行)

・吉野,北山,十津川,三林業の情況及歴史一班(市嶋直治著・大日本山林会報告第245号・明治36年4月発行 及び 第248号 明治36年7月発行)

・紀州尾鷲地方森林施業法(土井八郎兵衛著・明治38年12月発行) 

・保線wiki 木製レール