九度山水力発電所 について知っていることをぜひ教えてください

国道から丹生川を覗き込むと発電所の跡地を見ることができます。南海高野線の線路の脇に発電用水路の跡がわずかに残っています。水路の痕跡はほかの場所にも残っています。

明治43年、今の九度山小学校の下のあたりに水力発電所が完成しました。電気の供給は九度山周辺だけでなく、岸和田まで供給があったそうです。残念ながら昭和28年の水害で発電所が流され、わずか42年でその役割を終えたとのことです。

当時の九度山の人たちは発電所の立ち上げに相当熱心だったようで、明治28年には丹生川に堰堤を築く申請をし、県知事に許可を受け、農商務大臣に「紀伊水力紡績株式会社」認可の申請・許可を受けたとあります。しかしながら水路地の買い上げが進まず、延期を繰り返し、資金調達の目途がたたず、ついには発電所建設をあきらめたようです。

しかしながら、改めて計画を進め、以前の資金不足の経験から地元だけでなく、大阪府岸和田町の寺田元吉ら15人の協力を得て資金を調達したようです。その際の経営の条件として優先的に九度山地区に電灯をつけ、残った電力を岸和田に送り、また、沿線の村々に供給することとなったとあります。この計画のもと、岸和田で会社設立の発起人会が開かれ、「和泉水力電気株式会社」として会社を創立、工事がはじめました。

電灯電力予約申込の史料をみると、家庭における室内電灯使用料金は6燭光で45銭、100燭光で4円80銭とあります。1燭光=ろうそく1本分の明かり=1ワットのようですので、当時の貨幣価値からしても相当に高価だったことは想像にかたくありません。

今では国道から丹生川を覗き込んだ時に発電所の跡地が、九度山小学校・幼稚園から南海高野線を見たときに水路跡を見ることができます。