橋本高野橋の西南詰に古社『社皇神社』がある。当地は相賀庄の荘園内に属するが、荘園の総氏神『相賀大神社』よりも古社とみられる。

と、いうのは、長承元年(1132年)に鳥羽上皇より覚鑁(かくばん)に寄進された荘園として相賀庄が成立し、その時に相賀大神社が根来寺から三部明神が勧請されて成立する。この時に、既に当地に社皇神社が存在し、相賀大神社の「姉君」と位置付けられ、敬意をはらった神輿の渡御が社皇神社になされていた。

中世には相賀大神社の祭礼時に供物を社皇神社に献ずるならわしであった。

ところが、明治39年(1906年)の明治政府の『神社合祀令』によって、神社騰記から削られたが、当地域の篤志家 松永定一によって神殿が寄進される。

昭和15年(1940年)の境内社の調査によって、県の記念物級の大樹が7~8本あった事が解っている。(中世地域史研究家 岩倉 哲夫談)

 

以下、橋本市観光協会HPより

清水の町並みから南に20mぐらい入った所にあるのが、この社です。小さいし、ひっそりと有るので、全く気付きませんが、実は橋本で1・2の古さのある神社です。

 http://www.hashimoto-kanko.com/koya/koya1/01